今回は、わずか25年あまりの職業経験の中ですが、仕事における私の価値観を大きく変えてくれた、今でも尊敬している3人の上司とのエピソードをいくつか紹介させていただきたいと思います。
仕事の実務的な部分で、みなさんの求める即効性のある記事ではありません。ただし、もうすぐ50代を目前にした私の原動力であり、価値観を支えているのは今でもこの3人の上司です。
気楽にご覧いただければ幸いです。
仕事を通して、本当の意味で尊敬できる方、影響を与えてくれる方と仕事を一緒にできる可能性は、実はとても少ないのではないかと感じています。
僅か20年あまりで仕事の環境は激変したなぁ感じます。新卒の頃は「わかりません、教えてください!」が当たり前でした。現代は劇的に情報化が進み、「わかりません」が簡単に言えない時代です。「ググる」だけでほとんどの情報を手に入れることができます。
「ググらない人」=「自分で調査しない人」となり、自己解決能力が低い人の印象さえ与えてしまいます。
当時と比較して今の若い方は、本当に有能だなと感じます。
その分、仕事における人間関係やコミュニケーション、やりがいをもって情熱的に取り組んだ仕事の達成感などの部分で、私たちがもっと楽しいものだよ、ということを伝えていくことが不足していると感じます。
40代の転職においては、新しい職場で自分よりも年下の先輩が多くなり始めます。
どのようなシチュエーションであっても、コミュニケーションの土台をつくり、影響を受けた3人の上司のような存在として、若い方の力になり、そして自分も成長していきたいと思っています。
本当に今回は思い出話です(笑) 40代で転職を迎える皆さんも、そして今後の世代を担っていかれる若い皆さんもご覧いただける機会があれば、暇つぶし程度に読み流していただければ幸いです。おやじたちも意外と熱いんだなと(笑)
1.私に大きな影響を与えてくれた方(今回のテーマ)
- 大卒後の初めての就職 右も左もわからない私を一言で救ってくれた支店長
- 自分の可能性について教えてくれた、営業先のお客様と新しい上司
- リンカーンの名言
- 最後に
2.著者の経験
これまでの主な職歴は、人材サービス業とコンサル業での勤務です。
人材サービス業では14年間勤務し、約3,500名の求職者のみなさんへお仕事をご紹介してきました。また、コンサル業では7年間人事業務に携わり、新卒や中途採用、教育・研修などを行ってきました。
転職や就職情報のほか、面接時の雑談や、お仕事場での日常的なコミュニケーションツールとして、日々のニュースやトレンドの情報も、お伝えしていきたいと思います。
3.大学卒後の初めての就職
右も左もわからない私を、一言で救ってくれた支店長
大学を卒業して、初めての就職は地方のある支店でした。
企業規模はとても大きく、自分自身の能力をはるかに超えている就業先に決まったことで、内定当初は浮かれていました。
ただし、現実はそんなに甘いものではありませんでした。一番の理由は、自分の意思で選択していない会社(業界)への就職であったことです。
今となれば言えるのですが、当時大学生であった私の、そして私たちの価値観は「どれだけ有名な企業に入れるか」にありました。当時はまだ就職氷河期と言われていた時代で、おそらく最初に内定を頂いた会社も100倍程度の倍率があったと思います。
就業前の事前研修では、皆さん優秀な大学の出身で、経済的にも恵まれた環境の方が多かった印象でした。アルバイトを掛け持ちしないと生活できない私がなぜ入社できたのかは、いまだに謎に包まれたままです。
数か月が過ぎ、当時は若く気も利かず、要領も悪い上に細かな確認も徹底しない自分は、たびたび同じミスを繰り返していました。指導役であった2人の女性社員もなかなか手厳しいタイプであり、毎日がストレスで精神状態も良くない状況が続いていました
そんな中、お客様の勘違いと私の説明ミスも重なり、大きなクレームが発生する事態が起きました。
当然、指導役であった2人の女性は聞こえているが見て見ぬふりであり、お客様に詰め寄られている状況に助け舟はありませんでした。
自分自身もなんでこんなミスをしてしまったのかと自身をせめることしかできず、言葉にもつまり、ただただ罵声を浴びせられる状況でした。
そこに、普段は奥から出で来ることの少ない支店長が、店舗内の私とお客様の前に現れました。
お客さまは神様的な扱いであった当時、その言葉はとても衝撃的で、そして自分は守られているという大きな安心感につつまれました。
正直、男として恥ずかしいのですが、その場で涙が出てきました。
そして、「気にしなくていいから、いつもの通りに仕事しろ」とだけ声をかけてもらい、またいつものように後ろの部屋に戻られました。
今思うと、それから将来自分がメンバーを持つことになったら、必ず支店長のように部課を信じて、守ってあげられる上司になろうと決めました。
月日がたって、自分自身も数名~数十名のメンバーと持つ時期を迎えました。当時の支店長に守られた記憶を忘れることは一度もありません。そして今も同じ気持ちを持っています。
こまかな経緯や通常の状況を描き切れていませんが、私の仕事観を大きく変えてくれた社会人1年目、最初の尊敬する上司の実話でした。
以降、お客様に対してこれほど明確に部下を擁護してくれる上司と、出会う機会はありませんでした。もちろんSNSが進化し、モンスタークレーマーなどが存在する現代を考えると、時代がこうした対応を許さなくなった背景もあると思います。
しかし、私は一生忘れていません。これほど言葉にできない感謝を感じたことはありませんでした。
本当に貴重な経験を与えていただいたと思っています。
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4.自分の可能性について教えてくれた、営業先のお客様と新しい上司
これまでの職務経歴の中で、一番のキャリアを形成した、人材サービス会社時代のお話です。
転職して1年目~2年目、20代後半に差し掛かったあたりの時代です。
当時はまだ新規訪問重視であり、アポイントなど無しに、どんどんお客様を訪問して営業をするやり方が当たり前の時代でした。
門前払いなど日常茶飯事であり、時折親切な方がいたり、お話を聞いてくれる方がいたり、とても綺麗な方がいたりと、自分自身のモチベーションも上がったり下がったりを繰り返す毎日でした(笑)
しかし、不思議なことですがこうした訪問の繰り返しから顔なじみになり、次第に人間関係ができあがります。
そして契約に結びついた時の喜びが忘れられず、それまで営業職なんてと、毛嫌いをしていた自分の価値観が大きく変化していくことにも驚きました。
そうした、いわゆる飛込み営業を重ねていた時に、とある企業のおそらく課長職級の方とお話する機会がありました。
それまでなんどか訪問をし、名刺だけは残してきていたので、相手は幾分か私の存在を理解されておりました。おそらく、しつこいなぁと思って、しょうがなくでてきてくれたのだなと思います。
当時から、お会いしてもあまり仕事の話をすることが少ない、雑談営業中心の自分でした(笑)。この日も同様に、お客様のプライベートを含めた、いろいろなお話をお伺いしていました。
そんな中、今の仕事は楽しいか?と問われました。まだまだ自分も若かったので、いつも素直に自分の気持ちを話していました。
しかし、実はお客さまからそのお話を聞いたその時は、「そうではない、自分は自分の力で必ずやれる」と信じていた自分がいました。
きっと、その当時の上司に対して、安心して身をゆだねることが出来なかったという背景があったと思います。
その当時の自分の上司は、全国で5本の指に入るほど仕事ができない上司で、本社から飛ばされ地方を転々とする、別の意味で有名な方でした。
面識もない他県の支社の方からも、大変だね、頑張ってねと、なぜかいつも声を掛けられるのが当たり前の日々でした。私をかわいそうに思うのか、支援の指示がでていたのか、他支社の方もいつもよく私のサポートに来ていただいていた記憶があります。
それから1年後、経営陣の入れ替えもあり、その上司は本社のいわゆる窓際的な部署に異動となりました。その後任として、私よりも4つほど上の若い上司が異動されてきました。
結論として、その方は、その後10年間私が追い越したくても、絶対に追い越せないスーパー上司でした。
何か特別守ってくれるわけでも、親身に飲みながら身の上話をするようなタイプでもありません。
ひとつ挙げるとならば、その方の下では私はいつも自由でした。私がやりたいこと、チャレンジしたいことは、いつもいいよと言ってくれました。
もちろん、当時の私は考えたアイディアに突き進んでいくので、時としてトラブルが発生することもありました。
すると、想定していたかのように解決案について私に適切なアドバイスをくれ、お客様を訪問しては話をまとめ、何事もないように会社にもどります。
さも、きっとお前はこういう壁にぶつかる、こういう問題が起きるということを、初めからわかっているかのような感じです。
自由に動いているようで、実は常に私はその方の手の平の上で動いていることに気が付きました。
そして、いつもどこかで見守られているという安心感をもって、仕事ができるようになりました。
その後、私はメンバーにも恵まれ、一般職から管理職へとポジションが変わっていきます。
最終的には全国の中でも、優秀エリアとして表彰を受けるほど、メンバーのみんなが頑張ってくれました。
こうした事を教えてくれたお客様、そして、自分のことを理解して動かしてくれたお客様と、上司のお二人に出会えたことに感謝しております。
この体験も、今の私の土台として残っています。
自分のメンバーは、自分が全ての責任をもって必ず育てること。
自分自身の性格もあり、私はこの上司のような、限りない飽和力を真似することはできません(笑)
そのうえで、自分らしさをもって優しく、厳しく、そして楽しんで仕事ができるような環境を整えることが、自分の役割だと考えて仕事をするようになりました。
このお二人に偶然出会えたこと。これも私の仕事観を大きく変えていただいたエピソードです。
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5.リンカーンの名言
最後は少しタイトルと方向がずれてしまいますが、間違いなく私に影響を与えていただいた方です。
リンカーンは、弁護士、イリノイ州議員、上院議員を経て、第16代アメリカ合衆国大統領に就任した人物です。数多くの偉業を成し遂げ、奴隷解放の父とも呼ばれています。
そんなリンカーンの名言にであったのは、30代後半、とある会社のトイレでした。
トイレには数枚、そうした偉人たちの名言が飾られていました。おそらく経営者の方のアイディアだと思います。
その中に、ふと目に留まり、なぜか私の心にすっと入った言葉がありました。
その時はこうした名言に全く関心がなく、誰の言葉なのかも全くわかりませんでした。
後に調べると、有名なリンカーンの名言でした。
なぜか、その言葉がその会社を後にしても、家に戻ってもずっとその言葉が頭に残っていました。
このことわざの解釈は多数あるようですが、私は文字通りに意味を捉え、自分に問い重ねていました。
本当に考えて行動しているのか、自身と過信を混同していないか、事前準備と確認を怠っていないか、ゴールをイメージしてプロセス管理をしているか、などなど、次々と自分自身に対する疑問が頭をよぎりました。
トイレでこの名言に出会ってから、10年ほどたちます。
今では仕事をはじめ、プライベートでもこの考え方を忘れることなく、自然と自分のベース思考となっています。
年齢を重ねることにより、仕事のスタイルや求められる結果が変わってきたり、自分の発言に影響力がでてきたりします。また、自身の子供が成長するにあたって、アドバイスをする場面も増えてきます。
私はこの言葉のおかげで、少し自分自身を客観視することが出来るようになりました。そして、すぐに走り始めず考えることに時間を使うことを、心掛けられるようになりました。
まさか、あの時のトイレでのふとした出会いが。これもひとつの縁ですね(^^)
6.最後に
今回は、本当にとりとめもない話でございました。
ただし、私は本当にこれまでの皆さんの言葉に救われました。そして、その言葉が50歳を迎える今の自分の中心であり、考え方の土台となっています。
みなさんも、おそらく生まれた環境や育った環境もあり、心に留まる言葉はそれぞれ異なると思います。
そうしたことに出会うことができたら、とても幸せですね。
それはきっと、出会うべきとして出会った縁ですね。何かそうした縁に、必然性を感じてくる年齢になったのかもしれません(笑)
お忙しい中、最後までご覧いただきありがとうございました。